南アルプス

大井川上流の河岸林


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はじめに

 南アルプスは、富士川と天竜川に挟まれた、南北に100km以上、幅が東西50kmにわたる赤石山脈の一帯を指し、山系でいうと甲斐駒・鳳凰山系、白根山系、赤石山系にあたる。
 南アルプスの特徴の一つとして、その山塊の大きさと高山植物群落、広大な森林植生があげられる。北アルプス・中央アルプスに比べて開発が進まなかったため、天然林に近い森林が広大な面積にわたって残存している。もう一つの特徴として、山岳地域としては日本列島の南部にあたるため、暖帯から寒帯までの幅広い気候帯を持ち、植物の分布においては南限のものが多く、動物についても、高山性の昆虫類やライチョウなどの分布の南限にあたる。
 南アルプスは、太平洋側の温暖多雨の条件と深い峡谷が作り出す地形によって、多様な植生が発達し、多くの貴重な動植物が生育・生息していることから、2014年にユネスコエコパーク(生物圏保存地域)に認定された。ユネスコエコパークは指定区分の中に、保存機能、開発機能、学術的支援・教育の機能があり、各々の機能を達成するための相互に依存する3つの区域が設定されている。それらは、核心地域、緩衝地域、移行地域である。
 大井川は、二軒小屋から上流で西俣、東俣(大井川本流)に分かれ、それらの流域には広大な森林が広がっている。西俣・東俣の河岸には、V字谷にもかかわらず、いくつかの段丘面が発達していて、ここには大径木が混在する森林生態系または河岸特有の落葉広葉樹からなる河岸林が発達している。南アルプスの静岡県側は間ノ岳、塩見岳、荒川前岳、赤石岳、聖岳、茶臼岳、光岳の稜線を結んだ線から東面にあたる。この斜面は急峻、かつ広大である。標高の高い地域には亜高山帯針葉樹林が、その下方には冷温帯落葉樹林が分布している。この中央部を北から南に流れる大井川は、源流地点から河口まで延長185kmの河川である。
 大井川の上流部主流は「東俣」と呼ばれ、「西俣」は二軒小屋から西側の塩見岳を源とした支流である。東俣の上流をさらに上ると、間ノ岳南面の標高3,000m付近に水源が現れる。この両者はユネスコエコパーク認定において「高い山、深い谷が育む生物と文化の多様性」と謳われた、まさに「深い谷」にあたる。両者の深い谷の河岸にはいくつかの平地(河岸段丘、扇状地)が存在する。
 大井川の二軒小屋より下流は広く開けた大きな河川となっている。しかし、井川ダム湖までは両側に広大な森林が成立している深い谷の景観を示している。この谷にも両側から支流が合流し、その地点は河岸段丘または扇状地となって、広い河岸林が成立している。


池ノ沢のドロノキ群落

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 南アルプス東俣上流部の河岸林は主としてヤナギ科の樹種により構成されている。ドロノキは、分類地理学の分野からみると、大変注目すべき樹種である。別名ドロヤナギとも呼ばれ、河岸に分布するヤナギ科ヤマナラシ属の落葉広葉樹である。分布の中心はユーラシア大陸北部のウスリュー地方で、2〜7万年前の氷河期に大陸から分布を拡大してきたものと言われている。日本列島では北海道に広く分布していて、高木の河岸林として河川の段丘面において、優占種となっている地域もある。
 本州では長野県北アルプスの上高地に個体数が多い。梓川の氾濫原や河川にはヤナギ科のケショウヤナギと共に広く分布し、上高地特有の景観を作り出している。長野県より以南では南アルプスの北部から中部にかけて分布している。南アルプスの北部では仙丈ヶ岳の西面の河川に分布しているが、群落として広くはない。それより南の間ノ岳を源流とする大井川の上流部から中流にかけては点々と分布し、大井川東俣の池ノ沢付近では群落を形成している。
 池ノ沢には胸高直径100p以上のドロノキの大径木も成育している。それより下流の静平、広河原には大径木の群落がみられ、川幅の広い場所にドロノキ独特の景観が存在する。さらに下流では西俣の合流点である二軒小屋までは、河岸に単木で連続的に分布し、本流の燕沢に大きな群落を作り、そこが南限となっている。
 燕沢のドロノキ群落は扇状地に100本以上の個体数の群落を作り、日本列島における南限として貴重な存在である。また、源流部から燕沢扇状地までのドロノキ群落ではかつてドロノキを食草とする絶滅危惧種・鱗翅目のオオイチモンジが採取されており、この側面からも貴重な河岸林といえる。

池ノ沢のドロノキ大径木。広河内岳に源を発する池ノ沢。
この先東俣本流に合流する。

東俣本流と池ノ沢の合流地点に成立する落葉広葉樹林の毎木調査。

ドロノキの大径木。周辺の河岸林を構成する樹木より早く紅葉を開始する。


八丁平

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 八丁平調査区は西俣合流地点から上流約5kmに位置し、河川が大きく蛇行した西側に形成された平坦地である。面積は約1haで、南北に長い低位段丘面である。中央部に沢があり、崖錐が平坦部に張り出している。
 八丁平はかつて林業において重要な場所であった。下流部からの入り口にあたる部分は一部作業のための土場となっていて、現在でも小屋と作業場が残っている。作業場を除く八丁平の大部分は、現在天然林に近い状態で残されている。胸高直径(DBH)が100cmを超える巨木が点在し、南アルプスの山地帯から亜高山にかけての森林としては貴重な存在である。
 河川敷に近い場所に分布する大径木は、かつて支柱として利用されていたと想像できる。高木層を構成している樹木はウラジロモミ、コメツガ、ダケカンバ、サワグルミ、カツラなどで、西俣の柳島とは異なっている。特にウラジロモミは巨木化し、中層木の個体を含め、優占種となっている。
 八丁平調査区内に出現した種は、木本植物50種、草本植物57種の計107種であった。大径木(巨木)となっているウラジロモミはほぼランダムに分布していたが、崖錐の近くや、水道(みずみち)に当たる場所には直立したサワグルミが分布し、かつての支流の水の影響を受けているものと思われる。
 八丁平は上層木と中層木が発達し、安定しているため、下層の樹木は少ない。しかし、ウラジロモミ、コメツガ、ダケカンバの10m前後の個体も存在するため、この森林は代表的な亜高山帯の極相林と言えるであろう。この調査区は樹高が高い個体が多く、ウラジロモミ、コメツガ、カツラは30mに達する個体も存在した。
 胸高直径(DBH)の頻度分布から見ると、直径21〜50cmの部分にピークが見られる。DBH 61〜90cmの個体も多く、その中にDBH 100cmを超える個体が存在する景観は巨木の天然林に近いものと思われた。コメツガは個体数としては22%ほどを占め、断面積の合計では30%であった。
 それに対し、ウラジロモミは個体数としては約20%であったが、断面積の合計では36%を占めていた。カラマツはほとんど分布していなかった。カラマツが生育していない八丁平では、ウラジロモミが大径木として優占している極相の森林と言える。

八丁平のウラジロモミの大径木。

八丁平、ウラジロモミ、トウヒ、ダケカンバ、サワグルミが混生する林分。

八丁平、ウラジロモミが優占し、落葉広葉樹が混生、八丁平を代表する森林。


千石沢のウラジロモミ林

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 二軒小屋から林道東俣線下流に向かうと、本流の左岸と千石沢の合流地点に出る。このあたりから平坦地が広がり、樹高の高いカラマツとウラジロモミの林に入る。河岸に沿っては樹高20m以上のウラジロモミの優占した林である。ウラジロモミは樹高25m以上の個体がヘクタールあたり約50個体、その多くは胸高直径が30cm以上であり、61〜70cmの個体はヘクタールあたり約20個体である。下層を形成する樹木はエンコウカエデ、ヤマモミジ、メグスリノキ、ウリハダカエデなどのカエデ類が多い。ウラジロモミの幼樹は樹高5mから20mまで各階層でみられる。そのため、このウラジロモミ群落は天然更新が進むと期待できるが、現在は整備・管理されている群落である。また、林縁から林内にかけて密度の高いテンニンソウの群落が発達している。

千石沢のウラジロモミ林。
この林は林床が整備されて、管理及び保護されている。


千石沢のカラマツ林

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 林道から山側にかけてカラマツの人工林が続いている。このうち、林道に近い場所は樹高の高いカラマツが密度の低い状態で生育している。樹冠を形成する優占種はカラマツで、樹高が25m前後で、管理された林である。胸高直径は40cm〜60cmで、将来カラマツの大径木を育成する計画であることがうかがえる。林床には多くのカエデ類、オガラバナ、アサノハカエデ、コハウチワカエデ、チドリノキ、ホソエカエデ、エンコウカエデ、コミネカエデが生育し、下層及び中間層を形成している。

千石沢のカラマツ林とウラジロモミ林。
樹高の高い森林内を林道が通っている。

千石沢のカラマツ林。
林床は明るく、高茎の多年生草本植物群落となっている。


燕扇状地河岸林

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 燕扇状地河岸林調査区には、17種の樹種が分布していた。調査区内では、ドロノキが個体数の多くを占めていた。次いで、オオバヤナギ・ヤシャブシ・ウリハダカエデが多く、イヌエンジュ・オオモミジ・カラマツ・ケヤマハンノキ・フサザクラ・ホソエカエデが少数分布していた。
 個体数と種ごとの胸高断面積合計から、ドロノキの個体数が約45%で胸高断面積合計約70%であるため、この群落ではドロノキが優占している群落である。ドロノキは個体数の割に胸高断面積合計の占める割合が大きいため、胸高直径の大きな個体が多いことが示された。
 調査区内では胸高直径10cm以下の個体が最も多かった。胸高直径が最も大きかったのは、ドロノキで30〜40cmであった。個体数及び胸高断面積合計の割合が最も大きかったドロノキは、胸高直径21〜30cmの個体が多かった。また、小さな個体から大きな個体まで幅広いサイズの個体がみられた。このことから、この群落の天然更新が進むものと期待できる。
 この調査区では樹高6〜10mの個体が最も多かった。最も樹高の高い個体はドロノキ(20m)であった。オオバヤナギ・オノエヤナギ(18m)も次いで樹高が高かった。個体数及び胸高断面積合計の割合が最も大きかったドロノキは、樹高16〜20mの個体が最も多かった。
 燕扇状地におけるドロノキ群落は15m以上の大径木からなり、この地域に100個体以上の集団を作っていることが明らかとなった。
 ドロノキはユーラシア大陸のウスリー、アムール地域に広く分布している。氷河期に日本列島へ分布を広げてきた。現在、北海道には個体数が多く、河川沿いに群落を作っている。中部地域では個体数は少なく、長野県の上高地(北アルプス)に大きな群落がみられる。南アルプスでは過去に大井川東俣上流域に多数分布していたことが報告されている。現在では燕扇状地のみに群落が成立していて、ドロノキ群落としては日本列島における南限にあるため、大変貴重な存在である。

燕扇状地のドロノキ河岸林。

燕扇状地。写真の中央部に細長く広がっている。

燕の池。ドロノキ群落の中央部。
過去の発生土置場に接する位置に伏流水によりできた池。

燕扇状地のドロノキ群落の内部景観。

ドロノキの葉を食草とするタテハチョウ科オオイチモンジ(絶滅危惧種U類)。


胡桃沢

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 赤石ダムと井川湖までの大井川本流は川幅が広く、500mから800mの広さのある場所が出現する。両岸の支流から本流に流出する所は扇状地が広がり、これと河岸段丘が接する所には広く平地が形成されている。このような地形には古くから、林業のための作業場所となったり、宿舎が建てられていた。現在は長期間そのまま放置されていたため、自然が復元された状態になっている。そのうち大井川右岸の胡桃沢河岸段丘はかつて宿舎があった場所であるが、当時周辺の自然林を残しておいたところであるため、大径木が混在した見事な森林となっている。
 胡桃沢から対岸までの川幅は広く、対岸には典型的な落葉広葉樹林からなる河岸林と岩壁植物群落が成立している。また、上流部には舟形島地形、河岸林の周辺には河川敷植物群落もみられ、教育コースとして利用できる場所である。
 胡桃沢の扇状地は三段の段丘面になっており、上段はケヤキの大径木が目立ち、かつてこれらの樹木を保存してきた様子がうかがわれる。二段目は樹高10m前後のイヌシデ、フサザクラ、ミズナラ、アサダの落葉広葉樹が優占している。これらの落葉広葉樹に混じり樹高20m以上、胸高直径40cm〜80cmのミズナラ、ケヤキ、カツラが分布していて、川に接している河岸林とは異なる様相を呈している。また、ミズナラとケヤキは大径木と混在して、これらの種の若齢木も多数存在するため、将来は天然更新による、安定した森林へと変化していくことが期待できる。胡桃沢はケヤキの大径木が残存することが特徴であるが、これらは古くから作業場として活用されてきた過程の中で、意識的に保存してきた貴重な存在である。

胡桃沢の毎木調査。
若齢木として、イヌシデ、フサザクラ、ミズナラ、アサダ、サワグルミが混在している。

胡桃沢対岸の河岸林。
左岸は岩壁植物群落と落葉広葉樹林。
右岸は河川敷の砂礫地植物群落が見られる。