富士山の恵み

〜文化遺産としての富士山〜

 富士山は現在、世界文化遺産の登録を目指している。文化遺産の構成資産は主として神社、仏閣、遺跡、絵画などである。しかし、日本人の多くはこれらの資産が富士山の自然から発生し、富士山の自然によって育まれたものであることを知っている。多分野にわたる文化遺産を育て、まもってきた富士山の自然とはどのようなものだろうか。


富士山は新しい山である。

 富士山の山頂が噴火していたのは約2000年ほど前のことであった。最も近いのは1707年の宝永の噴火であるが、これは富士山の東側面にできた寄生火山である。また、北西側の青木ケ原も側面が噴火した寄生火山によってできた広い裾野である。これらの噴火が終息し、噴火口の周辺や台地には現在では植生が発達し、火山荒原・草原・森林になっている。標高2,500m以上の斜面では溶岩や火山灰層を直接見ることができる。この裸地であった場所にも下から上って来た新しい侵入植物が面積を拡大している。まさに、植物群落の遷移が進んでいる場所でもある。

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植物の垂直分布

 3776mの高度をもち、独立峰である富士山には、明瞭な植物群落の垂直分布帯がみられる。標高500mくらいから山地帯、亜高山帯、高山帯と続き、山頂付近は上部高山帯である。
 山地帯にはスギ・ヒノキの人工林、それより少し上部にはブナ・ミズナラ・カエデ類の夏緑広葉樹林が発達している。特にブナの林は富士山の森林のなかでも明るさと清々しさを提供してくれている。しかし、そのブナ林に最近大きな変化が起きている。ブナ林の内部に子供の個体がほとんど生育していない上に、シカの食圧、跡圧が増している。この部分では、特に貴重な植生が毎年毎年衰退してしまっている。亜高山帯にはシラビソ、コメツガ、トウヒが分布し、森林限界付近はオンタデ、イタドリの群落である。

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富士山頂の植物

 富士山頂では植生帯の垂直分布がはっきり見られる。標高2,500m以上は高山帯であるが、標高3,000m以上は「上部高山帯」に属し、そこに分布する植物はほとんどがコケ類と地衣類である。特に山頂周辺は種子植物の分布は極めて稀であった。1990年頃までの調査では、永久凍土が存在する近辺にはコケの群落が発達するが、種子植物の分布はほとんど見られなかった。しかし、最近ではこれまでに分布していなかった、高山帯のコタヌキラン、オンタデ、フジハタザオ、イワノガリヤスが生育するようになってきている。
 これらは現在個体数が増加しつつあるが、大きな群落を作るような状況ではない。
 種子植物の増加は、富士山頂に種子植物の実生が生育できるような微環境(safe site)が増加しつつあるのではないかということを示している。
 垂直分布で上部高山帯をもつ山は日本国内では富士山だけである。標高にして3200mから3700mで、種子植物は少なく、山頂付近になるとほとんどがコケ類と地衣類である。山頂の植物で特に注目したいのはコケ類とラン藻類が共存しているヤノウエノアカゴケ群落である。山頂の最も環境の厳しい場所に生育している黒色のヤノウエノアカゴケでは南極で見られるようなラン藻(ノストック)が表面で共存している。また、夏期の乾燥期に永久凍土や季節凍土が解け出す付近には多くのコケが生育し、緑色のカーペット状になっている。


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永久凍土

 富士山頂には永久凍土が存在することは古くから知られていた。1935年に中央気象台の測候所が設置されたときにも、真夏でも富士山頂の土が凍っていることが報告されている。
   本格的な調査は1975年に藤井らにより行われ、富士山頂における永久凍土の存在と、その下限は標高3,100mあたりであることが確認された。
 凍土には永久凍土と季節凍土からあり、地表面近くの季節凍土は、日本列島でも厳冬期にはよくみられる。低地の畑などで見られる霜柱である。一方、永久凍土は、「少なくとも連続2回の冬と、その間の1回の夏を合わせた時期より長期にわたって、0℃以下の凍結状態を保持する土壌または岩石のこと」であると定義されている。シベリアやアラスカでは普通見られるが、日本では富士山以外では北海道の大雪山、本州の北アルプスの一部だけに存在する。

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永久凍土をもつ山

 1970年代に富士山の山頂付近に永久凍土が存在することが調査報告された。1年中凍った土が存在することは富士山では知られていたが、のちに永久凍土の環境では南極と同様のコケ植物とラン藻の共生体も発見された。
 富士山の山頂にはお鉢めぐりという登山道がある。この登山道沿いに池と井戸があることは、あまり知られていない。なぜ水のない山頂のスコリア土壌に水が貯まるのだろうか。7月の初旬に山頂に登るとまだちらほらと雪のかたまりが残っている。そのころ浅間神社の西側の広場には直径10mほどの「このしろの池」が水を貯えている。この池は8月に入ると水がなくなってしまう。井戸は火口をはさんで南側と北側にあり、銀明水・金明水と呼ばれている。この水も8月に入るとほとんどなくなってしまう。江戸時代にはこの水を利用して、硯で墨をすったと言われている。しかし現在では早々に井戸が枯れてしまう。そもそも水ガ貯まる理由は地下に凍土が存在し、それがビニールシートでも敷いたような働きをして、水の浸透を止めているのだ。最近では永久凍土も季節凍土も山頂から少しずつ姿を消しつつある。水が貯まりにくいのと同様に水の供給も少なくなっているようだ。山頂で井戸水を使って墨をすり、それで文字を書くという文化をなんとか残したいものだ。

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森林限界

 富士山の森林限界の位置は標高2,400mから2,500mである。しかし、基盤がしっかりしている西側の大沢沿いでは標高2,800mのあたりまで森林が上っている。周辺の高山帯や富士山がおかれている気候条件から見て、将来はもっと上部まで森林限界が上ると予想できる。現実に富士山の南側と北側とで長期間の測定結果から年間約1mくらいずつ森林が上に上っている報告がある。富士山の森林限界はかなりの速度で動いているのである。富士山の森林限界の構造もまた特異的である。富士山のような新しい山に見られる森林限界はカラマツが北アルプスや南アルプスの高山で見られるハイマツの役目を果しているような状態である。同時にはいつくばっているカラマツをとり巻くようにミアマハンノキ、シカマヤナギが生育している。

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文化を育てた山地帯

 富士山の浅間神社は大変古く、富士宮本官浅間大社とそれに関連していくつかの神社も江戸時代から人々により信仰の場所となった。
 浅間大社から山宮浅間神社に向かい森林限界に出るまでは、広い森林を歩かなくてはならない。江戸時代には、多くの人々が信仰のためにこの森林の中を歩いたはずである。森林限界にたどり着くまで、落葉広葉樹林内を登ることになるが、ここではブナの林が特徴的である。
 富士山の南面から東面にかけて、ブナの分布が見られる。ブナが分布する標高1000〜1600mのあたりで、ここは落葉広葉樹林帯である。富士山のブナ群落は純林ではなく、人工林や林道によって分けられ、小さな群落になっている。この群落にはブナだけでなく、ミズナラ、カエデ類がまざった混交林である。ブナのほとんどは大径木であり老齢化している。胸高直径の頻度分布をグラフでみるとL字型を示さず、直径50〜80mのところに山が見られる状況である。今から200〜300年前に成立した群落と推定される。このような富士山のブナ群落は実生や稚樹・若令木が少なく、成木と老齢化が多いことから、分布が拡大していくことはなく、衰退していくと考えられている。
 現在のブナ林の外観は富士宮市から見た場合には春のあわい黄録、夏の深い緑、秋の黄葉と景観が変化し、大変特徴的である。この群落内部にはハイキングコースが多数あり、多くの人々に憩いの場所を提供している。

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世界文化遺産のクライテリア

 文化遺産として重要な構成資産として富士参詣曼荼羅図があり、富士山浅間大社に国宝として保存管理されている。室町時代に描かれた富士参詣曼荼羅図には、静岡市の海岸、三保の松原から富士山頂までが描かれている。信仰に係る絵図ではあるが、標高が上るにつれ植物の分布ガ少しずつ変化し、標高2500mあたりの位置には森林限界がある様子も、しっかり描かれている。曼荼羅図の中にも古い時代の植物を見ることができるのである。海岸から中腹までには建物や当時の登拝者の様子も見える。森林限界以上では特に植物は見られず、山頂まで登る人々の行列がジグザグに続く。
 現在葉静岡県側の富士宮市の富士宮浅間大社あたりには、スギの人工林が広がっている。この地域は、植生帯の分類でいえば山地帯といえるが、ここには古くから人が出入りし、人々の生活や産業の場であった。いくつかある浅間神社や人穴の遺跡は緑深い森林につつまれている。また、少し離れてみるとその背景には富士山の長い斜面に分布する多様な森林が見られる。森林との調和の中に存在する文化遺産である。


〜富士山浅間大社〜

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